翻訳と辞書
Words near each other
・ ルートヴィヒ2世 (バーデン大公)
・ ルートヴィヒ2世 (ヘッセン大公)
・ ルートヴィヒ2世 (東フランク王)
・ ルートヴィヒ2世 (神聖ローマ皇帝)
・ ルートヴィヒ2世 - ある王の栄光と没落
・ ルートヴィヒ3世
・ ルートヴィヒ3世 (バイエルン公)
・ ルートヴィヒ3世 (バイエルン王)
・ ルートヴィヒ3世 (プファルツ選帝侯)
・ ルートヴィヒ3世 (ヘッセン大公)
ルートヴィヒ3世 (東フランク王)
・ ルートヴィヒ4世
・ ルートヴィヒ4世 (テューリンゲン方伯)
・ ルートヴィヒ4世 (プファルツ選帝侯)
・ ルートヴィヒ4世 (ヘッセン大公)
・ ルートヴィヒ4世 (東フランク王)
・ ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)
・ ルートヴィヒ5世
・ ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)
・ ルートヴィヒ5世 (プファルツ選帝侯)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ルートヴィヒ3世 (東フランク王) : ミニ英和和英辞書
ルートヴィヒ3世 (東フランク王)[おう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランク : [らんく]
 【名詞】 1. rank 2. (n) rank
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ルートヴィヒ3世 (東フランク王) : ウィキペディア日本語版
ルートヴィヒ3世 (東フランク王)[おう]

ルートヴィヒ3世:Ludwig III., 835年 - 882年1月20日)は、東フランク王国カロリング朝)の国王(ザクセン王(在位:876年 - 882年)、バイエルン王(在位:880年 - 882年))。ルートヴィヒ2世(ドイツ人王)とシュッセンガウ伯ヴェルフの娘エンマ(古ヴェルフ家)の次男。若王(der Jüngere)といわれる。ザクセン公リウドルフの娘リウトガルトと結婚した。
876年8月に父ルートヴィヒ2世が死去、兄カールマンおよび弟カール3世とともに父の遺領を分割し、ルートヴィヒはフランケンチューリンゲンザクセンを継承した〔成瀬他、p.91〕。同年9月西フランクシャルル2世は帝国の統一をもくろみ、アーヘンを急襲、ケルンを拠点にルートヴィヒの領地へと兵を進めたが〔、三兄弟はルートヴィヒを中心として連合軍を組織し、10月8日、アンデルナハの戦いでシャルル軍を破った〔瀬原、p.52-53〕。また879年の西フランク王ルイ2世の死後起こった継承争いに介入し、880年リブモント条約によって西ロレーヌの獲得に成功した〔瀬原、p.54〕。さらに、880年に兄カールマンが嫡出子なく死去したためバイエルンをも獲得し〔Reuter, p.336〕、広大な王国を形成した。しかし、879年頃よりノルマン人の侵略を受け、880年エノーのティメオン近郊では勝利をおさめたものの、当時ルートヴィヒは病床にあり、コブレンツトリーアなどが略奪を受け、ノルマン人との戦いにおいて義兄弟ザクセン公ブルン他多くの家臣らが戦死した〔成瀬他、p.97〕。
882年、ルートヴィヒは男子後継者なく死去、東フランク王国は弟カール3世により再び統一された。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルートヴィヒ3世 (東フランク王)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.